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2008-06-15 Sun 04:21
”人間は神ではない。医者であろうとも。
だけど、救いたい気持ちは誰にでもある。” これは弱肉強食の場になろうとしている、 とある病院の先生が言っていた言葉。 助かるはずの命が消えていくのを見たそうだ。 優しさや慈悲だけでは人は救えない。 経済的に苦しい患者には、 助かるはずの手術、あらゆる処置、 病状を見てあげる事さえ、国が許さないそうだ。 どんなに助けたい気持ちがあっても、 どうすることも出来ない。 もはや生死を判断するのは医者ではなく、 国やお金が絡むこの社会そのもの。 経済的に有利な順に生き残る。 まさに弱肉強食。 肉体ではなく、お金に強さを委ねた社会に過ぎない。 だけど、そんな世界に住む医師でさえ、 ”愛がなければ生きていけない”という。 それは精神的なもの。 結局、人間は”独り”。 ”独り”だからこそ誰かに心配してもらえる。 ”独り”同士だからこそ頼りあえる。 どうしても利害関係が表立つこの世の中では、 そんな事実も上手く見つけられません。 ”世は金”であって、間違っていると解りつつも、 そんな社会に適応する為、地位や名誉、 他人より良い暮らし、よりお金になるものを求めていくのが人間。 そうやって得て来たもの全て取り払った時、見えてくる繋がり。 何もなくなった時に見えるのが真実と想い。 ただ”想い”で繋がる人と人。 その繋がりこそ本当の強さなのではないかと思います。 そうやって繋がって、心が良く生き続ける事が大切。 それが出来たならば、定められた命の長さなど自慢ではない。 ”私はそれを他人に解かってもらおうとはしない” 他人の気持ちなど、誰も真に理解などできはしない。 例え相手が愛する人であろうと、ただ”共感”が出来るだけだ。 一人一人、人格は違う。 何を考えどう生きたのか。 他人の記憶に残す事。 それが私の仕事であり、願いです。 これは、私が記すべき記録であり、 全ての人が理解する必要はない。 |
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2008-06-10 Tue 06:19
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2008-06-09 Mon 06:14
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2008-06-07 Sat 08:19
人間が本気で走れる時というのは、
食べる為に獲物を追う時か、死の危険から逃げる時。 陸上競技はそういった心理の疑似体験から生まれた。 食べる為なら、他人が落とした芋を奪う。 生きる為なら、死人の靴をも剥ぎ取る。 人間が作ってきた法律やルールは、 そういった欲望がただ明るみに出ないようにする為のもの。 人間はもともと残酷な欲望の申し子。 誰もが内に秘める何かを奪いたい欲望。 教育と法で抑えられてきて、行き場を失った欲望同士は、 精神世界へと置き換えられ、いろんな力を利用して、 間接的な殺し合いに移り変わっただけの社会。 これでもまだ、”平和”と呼びますか。 敵方の兵士に敬礼。 爆弾の閃光は花火。 そんな子供ですら巻き込まれる戦争と変わらない。 この”平和”と呼んでいる社会もまた巻き込んでいる。 そんな世界に私はあきらめない。 と、言っているが、 もう一人の自分が書いた文章が、 ひどすぎて書き直したものです。 ごめんなさい。 パスワードを知ってる方は、陰へどうぞ。 |
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2008-06-07 Sat 08:04
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2008-06-05 Thu 06:36
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| トーマの部屋 ルナリアン |
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